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ミニ鉄東葉2000が出来るまで

物理学科 2年 6098番 手塚 蘭

1. はじめに

 2016年、NRではミニ鉄の東葉2000の車体を作った。しかしこの車体は我々が自作したものと知らない方も多く、ましてやどのように作られたか等ほとんどの方が知らない。そこで、今までどんな思いでミニ鉄を作ってきたのか、どんなことがあったのか、ミニ鉄がどんなものかより知ってもらうためにもここに私の知る限りの多くの思い出を書き記した。以下、ミニ鉄のパーツごとの製作記である。以下の文で出てくる「師匠」とは、ミニ鉄の東葉2000を作ると言い出したいわば東葉2000作りの中心人物であり、私の最も尊敬する先輩である。



写真1 ミニ鉄東葉2000


2. クーラー

 初めは師匠が東葉に人を乗せたいとしていたので、クーラーはクッションなど柔らかい素材を用い、人が乗りやすい構造となるよう考えていた。しかし人が乗るには東葉を乗せる台車の強度が足りなかったため、人を乗せることを一先ずやめ、より忠実さを求めることにした。クーラーの外枠は木の板で作った。クーラー上部のデザインは師匠に「もしよかったらクーラーの柄描いておいて」と言われていたので、あまり自信はなかったものの、実車や模型の写真を参考に私がデザインした。このとき、実車と模型では溝の数が違うなどデザインが違う点が多々あることに気づかされ、実車で特徴を押さえてから模型でデフォルメ感を掴みながら描くというハイブリッド技で行った。0.5o単位のデザインはとても細かい作業だった。こうしてどうにか下書きを終えたのち、H先輩に丁寧に下書きのところのみをマスキングしてもらい、銀色にスプレーで塗装を行った。そして乾いてから残った部分は油性ペンで黒くはっきりとさせた。
 学祭後には師匠によりクーラーの羽の真上の部分の黒く塗ったところには穴が開けられ、師匠がごみ捨て場から拾ってきたファンが取り付けられ、より一層本物らしくなった。一応電気を流せば回転するが、今はまだ回転させていないので今後の課題である。



写真2 下書き段階のクーラー




写真3 穴が開けられ塗装されたクーラー


3. ドア

 ドアは乗務員扉2枚と乗車扉4枚の計6枚作成した。材料は木の板を使い、写真から窓の大きさとの比率を求めてなるべく忠実に再現した。車体自身の縦横比が違うので、実車と縦横比は異なるものの、ドアの大きさと窓の大きさの比、更には窓のアール半径まで極力忠実に再現したつもりである。窓枠を滑らかに正確に作るためにも、一つの窓に3時間ほどかけてやすりがけを行った。
 こうして細かくこだわって作ったドアであるが、実際は2回製作している。1回目は主に当時3年生の先輩方と作製したが、窓を切り取る際に木の板が合板であったため、表面がバキバキと剥がれてしまった。剥がれていびつになった部分をパテで埋めてヤスリがけして直そうとしたが、剥がれた傷が細かく、師匠自らパテを一度削いで手直ししたものの最終的には修理品では師匠の期待に沿うことは出来ず、作り直すこととなった。2回目のドアの作成は師匠から私への「写真見てそれっぽく作って」というざっくりした指示であった。どんなにざっくりした指示であろうと、任されたからには師匠に認められるものを意地でも作りたかった。また使えなくなったドアでの3年生方の努力を無駄にしないためにも、今度は成功させなくてはならないと思った。よって2回目のドアの作成には私なりの拘りが詰められている。2回目は主に2年生方と作った。みんなでワイワイ騒ぎながら作る3年生方に比べ、2年生はお互いに出来映えを競いあいながら作るといった様子で、競争心が掻き立てられる分よりいっそう綺麗なものができたと思う。こうして作りあげたドアを師匠に見せると、大絶賛を頂いた。だが「よくこんなに丁寧に出来たね!凄いよ!俺だったら面倒くさくて絶対やりたくないもん!」と中々衝撃的なことを言われた。正直『貴方はいままで自分がやりたくないことを押し付けてたんですか!』と感じたが、私はそれ以上に拘りの強い師匠に認められたことが嬉しかった。




写真4 1代目のドア




写真5 制作途中の2代目のドア


4. 屋根

 屋根は大元となる大きな板の上にいくつもの梁を張り巡らせ、その上に薄い塩ビ板をつけるという多少複雑な構造になっている。特に梁は屋根の形通りに丸みをおびた何枚もの板に梁を通すくぼみを3箇所ずつあけていくという地道な作業であった。しかも、その板は元々昔のミニ鉄の車体から再利用したものであるが、厚さ10mmほどのとても固い板であり、またくぼみも小さく正確に開けるためにも一部糸ノコで切っていたので、とても労力がかかった。私が死に物狂いでくぼみを開けていると、見かねたI先輩が作業を代わってくださった。その後、私は先輩が開けたくぼみをヤスリで整えて梁にピッタリの大きさにするという作業を行ったが、ヤスリも同様にとても手間がかかった。しかし、それよりも作業を代わってくださったI先輩の、月の残業100時間越えの労働者のような、必死に作業を行う苦痛に満ちた表情を私は今でも忘れられない。そんな苦労を重ね梁を作ったが、いざ梁をはめてみると梁としての最低限の形は出来ているものの、歪みも多く残ってしまった。だが、ここまで作る過程の苦難を見ている人間としては誰がこれ以上のクオリティーを求められたであろうか。ここまで作るだけで精一杯なのがわかっているからこそ、私自身は「もっと丁寧にやってください」などと言えるはずもなかった。また私自身が作業してもそれ以上のクオリティーが作り出せるとも思えなかった。その後作業時刻も遅くなったのでI先輩は帰り、その後バイト終わりの師匠が様子を見にきてくださった。そこで師匠に言われた発言は「なんでこんなにしちゃったの?!酷いよ!」といった嘆きであった。私は出来上がったものだけを見ればそう言われても仕方がないかと思えるが、その背景にあるI先輩の必死な作業姿を思うとその努力を全否定されているようでとても辛かった。それも私はまだ必死に仕上げ作業行っていたが、師匠はその横でチョコポテトを一人食べながらひたすら嘆いていた。正直私の内心は『作業手伝うどころか食べ物見せびらかしながら人の作業に文句つけるとは何事だ』と師匠だから仕方がないかと思いつつ怒りを隠せなかった。しかし、この時怒ったのは私だけではなかった。私たちの作業を他の作業しながら見守ってくださった先輩方が、私たちの必死な作業を知っているからこそ、私たちの味方をしてくださったのだ。とある先輩が師匠のことを空のペットボトルで殴ってくださったのが面白くて、私の苦痛も多少救われた。結局この時は私も師匠もお互いに不満たまりまくりだったので、他の先輩2人に付き添われながら夕食がてら話し合った。いや、喧嘩したと言ったほうが正確かもしれない。しかし私は不満を全部ぶつけることが出来て正直楽しかった。師匠は後輩からの不満の声も力でねじ伏せることなく熱心に聞いてくださり、かといって後輩の言いなりになる訳でもなく自分の意見を語ってくださる、そんな本音で言い合える方であったからこそ、どんな作業の苦痛があれど私はこの師匠に着いていくことが出来た。なんだかんだ言って、師匠には感謝している。
 そんなトラブルを多々重ねて作り上げた屋根の梁であったが、後日実際の車体と比べて屋根が高いということが発覚しあえなく作り直しとなった。しかし師匠は私たちの作った屋根を無駄にするまいと屋根をスライスするように切り、薄くさせようとした。誰もが出来ないだろうと思っていた。出来なかった。師匠は「どうしてうまく出来なかったのだろう…」ととても悔しそうだった。どんなに必死にやったことでも、一瞬で台無しになることがあると思い知らされた。
 作り直しの屋根は、梁を通す基の板をつけるところまで師匠が一人で行った。梁をつける作業は今度は私も含め総勢6人ほどの大人数で行った。前回作の苦痛を基に梁は薄く通しやすいものへと代わり、作業もより楽な方法へと糸ノコでの切り出しからカッターとやすりで削る方法に代わり、何よりみんなで和気藹々とやることが出来、とても楽しいものへと変わった。
 屋根の梁が出来上がるとその上にクーラーをのせる場所を確保し、その他のところに板を被せ塗装を行った。
 後々この屋根は梁の無い部分が凹んでしまったので、今後凹まぬよう屋根の内部を何かで支えるなり、屋根を変形しにくい丈夫な材質に変えるなり、まだまだ改良の余地はあるなと感じている。



写真6 屋根の部材とその中に通す梁の高さ比較




写真7 屋根の梁の失敗作


5. 前面

 前面は滑らかなカーブを描いているからこそ、元々カクカクであった骨組みに部材を付け足してはヤスリで丁寧に磨き滑らかにする作業の繰り返しとなった。
 前面のガラス部分はどうしても丸く合わせるのが難しく、枠にぴったりのサイズではめ込みゴムテープで押さえつけるなどしながらも、今でも変形しやすい部分である。特にぴったりサイズに合わせるには少しずつ削っていく必要があり、私は学祭の日もミニ鉄を楽しみに来てくださった子供と楽しく話をしながらもその手には紙ヤスリと窓ガラスが握られていて作業を続けていた。
 前面のライトは1年のW君が製作してくれた。前照灯、テールライト共に作ってくれ、電源は電池式で操作もスイッチで簡単に行えるものである。そのスイッチボックスは彼がプラスチックボックスをカッターやペンチで加工して作ってくれたオリジナルのものであり、その製作過程には私の知らない苦労や思いが沢山あるのであろう。
 行き先表示の部分は将来電子化することを考え、長方形の板をはめ込む形で作った。初めその板をはめ込む枠は私が削っていた。しかし私自身他の用事で削り途中で作業を中断した。その旨は師匠に伝えたつもりであったが、上手く伝わっていなかったのか私が再び作業をしようと戻ってくると枠はいびつなまま師匠により塗装を終えていた。仕方がないので私はその中にはめる板をそのいびつな枠の形にぴったりはまるよう、同じようにいびつな形で作った。師匠にもその板はいびつな枠にはまるように作ってあるから裏表があるから気をつけてと念を押して伝えた。しかし後日、その板は裏表反対に方向幕として加工され、はまるはずもない枠に無理矢理押し込まれていた。加工したのは師匠だ。その様子を見て私は激怒した。折角枠に合わせて複雑な形に頑張って削った努力を台無しにされたからだ。怒られ師匠も困惑していたが、私としては許せなくても不格好な方向幕となった事実は受け入れるしかなかった。しかしさらに後日、師匠が方向幕を正しい向きで作り直してくださった。師匠は私の努力を無駄にはしなかったのだ。態々手間をかけて直してくださった師匠には感謝している。何も知らない人から見たら気づかないであろう些細な変化だが、私にはとても嬉しいことであった。怒ることしか出来なかった私はまだまだ子供だ。師匠のように人の思いを大切に出来る人になりたい。



写真8 ミニ鉄東葉2000の前面


6. 塗装

 塗装はスプレー缶によって行った。仕上がりが綺麗になるよう、出来るだけパテとヤスリがけで表面の凹凸を減らし、外側は銀色に、ろくに見えないであろう車体内部も木の質感が残らない黒色に塗装した。そのあまりの綺麗さに、ミニ鉄に乗りに来るお客さんは大半が言われるまで木製であること、私たちの手作りであることに気づかない。それはそれで寂しい気がするが、それだけ外観が綺麗に仕上がっている証しだと思おうと思う。


7. 帯

 車体の帯はオレンジ色のガムテープと白色・赤色のゴムテープを重ね合わせて作っている。私が帯の端のカーブを描いている部分は形が難しくどう作ればいいかと悩んでいたところ、M先輩が一度紙で見本を作ってみるといいとアドバイスしてくださった。そうして窓の下の太い帯と上の細い帯、それぞれの型紙を作ることでよりリアルで綺麗な形で作り上げることが出来た。その型紙は実は私は今でも大切にとっておいてある。ただの紙切れでも私にとってはミニ鉄に込めた思いの一つであり、大切な宝物である。


8. スカート

 初めはスカートが無かったのだが、後々やはりスカートがあったほうが格好良いという話になり作られた。初代のスカートは師匠が木と塩ビ板を組み合わせて作った簡易式のものであり、イベントの最中急いで作ったため、前からみてスカートは本来台形となるのだが真四角となるという、少々形の異なるものであった。また、木と塩ビ板は両面テープで張り付けてあるだけであったため、とても脆く、その後も使い続けることはできなかった。しかしそのイベントではスカートが無かったものよりリアルになり、良いものになったことは間違いない。 2代目のスカートは私が全て木で作った。師匠の作品に傷をつけるのは気が引けたので、再利用はせず、1から新しく作った。新しく作ったとはいえ、工法は師匠をそっくり真似た無理矢理なものであった。1代目と2代目の差といえば、一番は両面テープで直接車体に取り付けていたものを磁石による取り付けに変えたことである。磁石で取り外し可能にしてあるのは、もしミニ鉄が前面から他の車両と激突しても外れることで衝撃を逃がし壊れなくする為と、ミニ鉄の車体を運んだりしまったりするときに邪魔にならないようにする為である。その為車体には新たにスカート受けとして磁石を取り付けた。この作業もまた師匠の手掛けたミニ鉄に傷を入れることとなるため、師匠に取り付けを行って良いか、またどのように取り付けをしたら良いか等、師匠に指示を仰いではワイワイと口論しながら作成した。この作業の様子を見たI先輩から「君たちもっと仲良くやりなさい」との言葉を頂いたが、私も師匠もミニ鉄のこととなるとお互い譲れないからこそ喧嘩のようになるのであり、実際は仲良いと私は思っている。
 そうして作られた2代目のスカートはきちんと正しい位置に取り付けてこそ、見栄えのよいものとなったが、大半の部員がその正しい取り付け方を知らないため、斜めに取り付けられたりと折角のスカートが不格好に扱われていることが多い。また、衝突事故により外れても、その後ミニ鉄に牽かれ傷を負うといったこともあったため、要改良である。



写真9 1代目のスカート(後方)と2代目のスカート(前方)


9. 客車

 車体が東葉2000になることに合わせ、客車も東葉2000らしく改良された。
 まず座席のモケットが使い古されたカーペットのようなものからふっかふかの緑色のものへと取り替えられた。師匠曰く少し値段を奮発して良いものを使ったとのことであった。実際そのモケットはとても座り心地がよく、お客さんから部員まであらゆる人から愛されるものとなった。
 また、お客さんが足をのせるステップは銀色に黄色のラインというデザインに変えられた。この塗装も、今まで沢山の人に踏まれてきた傷だらけのステップをヤスリがけ等をして滑らかにし、それから塗装を行った。全体を銀色に塗装してから、黄色のラインの部分だけをその上に重ねて塗装したのだが、銀色の塗装の上に黄色の塗装は中々馴染むことが出来ず、塗装してはヤスリがけして再び塗装してといった作業が幾度となく繰り返された。3年生の先輩方が主にこの作業をひたすら繰り返してくださっていたのだが、長時間作業に当たりすぎた為スプレーの成分を吸いすぎて体調を崩してしまった先輩もいたほど過酷を極めた。それほどの努力をかけ作られたものであったが、師匠からは「表面が汚い」等と幾度となくダメ出しをくらった。師匠の拘りに応えるものは中々作り出すことが出来なかったが、何度ダメ出しを食らおうと泣き言を言いながらも必死に努力し続けた先輩方の姿とどんなに過酷だろうと妥協を許さない師匠の信念は今も忘れない。



写真10 黄色のラインを塗装するときの客車


10. 終わりに

 ここに私が書き記したことはまだまだほんの一部であり、私自身ここでは語れないような思い出もまだまだ沢山ある。このように多くの苦難がありつつも必死に作業を続けてこられたのは一緒に作業してくださった仲間たち、沢山励ましてくださった先輩方、そして何より何事も正面から向き合って戦い続けてくださった師匠のお陰である。前項で師匠のことを「妥協を許さない」と述べたが、そんな師匠でも実は一度妥協したことがあり、師匠の拘りに忠実に作るよう努力してきた私として喧嘩したこともあった。そのとき、師匠に言われた言葉は「お前のミニ鉄への思いが俺を越えている」といったものであった。勿論自分自身ミニ鉄への思いは強い自信はあったが、それはミニ鉄への師匠の熱い思いに憧れてのことであったから、自分の方がその思いが越えているなどとても信じられなかった。しかし自分が師匠から見てもミニ鉄へ熱い思いを持てているということが嬉しかった。
 今後もまだまだミニ鉄には多くの課題や新しい製作の夢がある。これからも同じ思いを持ち続け、ミニ鉄をよりよいものへと変えていきたい。そして師匠のように強い思いを持ち続け、自分自身の思いも人の思いもどちらも大切に出来る人になりたい。

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